12.なぜPCMなのか

ENIAC以来,各種のコンピュータが開発されてきた.それぞれ開発者の考え(設計思想)に基づいて自由な設計が行われた.だが規範となったマシンもあった.例えばケンブリッジ大学でウイルクスにより開発された世界初のプログラム蓄積型コンピュータ(Stored Program)であるEDSACである.東京大学のTAC(Toshiba Automatic Computer)はこの流れであり命令が同じだったと聞いている.日本最初のコンピュータ FUJIC が富士写真フィルムにより開発されたが,それ以来研究所や電気・通信メーカでいろいろなコンピュータが開発されたがそれぞれ独自のアーキテクチャであった.

IBMは50億ドルという巨額な資金を投じ社運をかけたSystem/360を1965年から出荷し世界の市場を実質的に独占してしまった.System/360の開発により巨大なコンピュータマーケットが生まれそこには膨大なソフトウェア資産が各ユーザによって開発され実用化され蓄積されていく.このことでSystem/360が実質的な世界標準のコンピュータになってしまったのである.アーキテクチャはPOO(Principles of Operation)として公開されており,またユーザプログラム開発のために,OS/360とのインターフェースである「スーパバイザマクロ命令」「データ管理マクロ命令」のマニュアルというIBMのバイブル的なドキュメントが公開されていた.このような状況では,POOを基にしてコンピュータを開発すればIBMと互換性のあるマシンを制作することが可能であり,そのマシンの上にOS/360を動作させればIBMユーザを取り込むことが可能になる.また,コンピュータシステムはCPUだけではなく磁気テープ,プリンタ,カードリーダー,磁気ディスクなどの入出力装置(周辺装置)などから成り立っている.これらの周辺装置のコストはコンピュータシステム全体に占める割合が高く巨大なマーケットの可能性を秘めていた.

上記の観点から周辺装置のPCM(Plug Compatible Machine)ビジネスが米国では流行りだしたのである.また,POOを基にしてCPUを開発することで本体であるCPUをIBMからリプレースするビジネスも生まれた.この代表的な企業がアムダール社(IBM System/360の設計責任者であったDr. Gene Amdahlが1970年に創立し富士通が全力をあげて支援)である.アムダールは世界初のLSIを全面使用したコンピュータ;Amdahl 470V/6を1975年6月に苦難の末開発した.IBMよりも数段上の性能でありながら安価であることを武器に高速計算を必要とするユーザ層に拡販しPCMビジネスで大成功を納める.IBMにとっては大型機が収益の柱であり大きな打撃となった.なお470V/6は富士通のM-190と同一マシンであり,日本で部品を作りアメリカで組立てAmdahlは出荷していた.

IBMのコンピュータは世界標準となりつつあるため富士通,日立,日本電気はそれまでの独自アーキテクチャでは海外市場に自社のマシンを展開するのは困難になる.このため日立と富士通はIBM互換路線を選択したのである.問題はそのソフトウェア,中でも鍵となるのはオペレーティングシステムであった.



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脱IBM VOS3/ES1開発
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