カミオカンデとスーパーカミオカンデがこれほどまでに成果を挙げるとは!
 カミオカンデ構想の誕生時に図らずも関わり,スーパーカミオカンデの共同研究者の一員として装置建設と実験遂行に携わることになった私には, そこまで輝かしい成果を挙げるとは当初全く予見できなかった。(ただ,冒険心を大いに刺激される魅力的な構想であるとは認識していた。)
 2002年小柴昌俊先生がカミオカンデの成果で,続いて2015年梶田隆章さんがスーパーカミオカンデの成果で,ノーベル物理学賞を受賞された。
 ノーベル賞に関しては,1949年に湯川秀樹博士が日本人として初めて物理学賞を受賞されて,戦後の疲弊した日本国民を大いに勇気付けた。  続いて1964年に朝永振一郎博士が2番目の物理学賞受賞者となった。 お二人とも素粒子物理学理論分野であって,実験分野での遅れは明白だった。
 「素粒子実験分野でも世界に誇れる成果を!」は,日本人研究者の悲願であった。 そしてついに,胸を張れる成果が挙がり始めたのである。
 この拙文は,私が間接,直接に関わったカミオカンデとスーパーカミオカンデについて,その発端から,私が見聞きし体験したことに基づいて, そのドラマの一端を記したものである。 大学で同学年だった河野通之さんに勧められて,文をまとめることになった。
 カミオカンデとは何か(なんでンデなのか),もともとどういう目的でスタートしたのか,どういう画期的なアイデアで後発の実験を挽回し, 成果を挙げるに至ったのか。 どんなセレンディピティ(探しているものとは別の宝物を発見すること)や必然性があったのか。 これらの成果の 意義とは? そもそも我々の生活と関係があるのだろうか。 そういうことについて,できるだけ数式を使わずに以下に記した。
 理論は「紙と鉛筆(と頭脳)」で世界と渡り合える。(最近では,超高速並列計算機などを駆使する理論家も多いが。 ) 一方,実験には,さらに実験装置が必要である。 基礎研究のとくに実験分野は,国の予算,すなわち国民の税金の投入が無ければ成り立たない。
 極微の世界を探ろうとする素粒子実験の実験装置は,ますます巨大化し,大きな予算を必要とする。 「国民の血税」を使わせてもらっている  からには,それに見合う(またはそれ以上の)成果を挙げ,国民に理解していただいた上で, さらなる発展を期さなければならない。
 この拙文がそういう役割の一端を果たし,読者の皆さんの何かのヒントやきっかけになれば大変うれしい。(奇しくも,超新星ニュートリノ 初観測からちょうど30年目の日に文章を書き終えたのも,何かの縁かも知れない。)
最後に,webに載せるために貴重な時間を割いてくださった同期の石黒功さんの努力に感謝申し上げたい。
                                 2017 年 2月 23日  渡邊靖志


  【目 次】

  第 1 章 カミオカンデ構想のころ ー理論研究会ー   (開く)
   1.1 発端   (p1)
   1.2 陽子はなぜ安定?  (p2)
   1.3 核子の崩壊モードと寿命  (p4)
   1.4 水チェレンコフのアイデア  (p5>
   1.5 研究会の後  (p8)
   1.6 ドイツハンブルグでの実験へ  (p9>
  第 2 章 カミオカンデ以前 ー神岡ミュー束実験ー   (開く)
   2.1 理論から実験へ  (p11)
   2.2 神岡へ  (p12)
   2.3 小柴研の助手に  (p14)
  第 3 章 カミオカンデの活躍 ー超新星ニュートリノの初観測ー   (開く)
   3.1 口径 50 cm の光電子増倍管の開発  (p15)
   3.2 トリスタン計画とウォーターボール実験提案  (p16)
   3.3 太陽ニュートリノ観測への測定器改造  (p19)
   3.4 超新星ニュートリノの初観測!  (p20)
  第 4 章 スーパーカミオカンデとハイパーカミオカンデ   (開く)
   4.1 建設と実験開始  (p25)
   4.2 ニュートリノ質量の発見  (p28)
   4.3 太陽ニュートリノの観測  (p32)
   4.4 長基線ニュートリノ実験  (p33)
   4.5 光電子増倍管破損事故と復帰  (p33>
   4.6 ハイパーカミオカンデ計画  (p34)


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