山本武利(NPO法人インテリジェンス研究所理事長)
この解説は「CCD雇用の日本人検閲者の労働現場-人数、職名、組織」『Intelligence』16号,2016年に収録されている。
占領軍(GHQ/SCAP)のインテリジェンス(諜報)や検閲を扱う総本部はG-2で、ほぼ全時期を通じその総指揮官はC・A・ウィロビーであった。G-2の下に民事を扱うCIS(民間諜報部)と軍事、刑事を扱うCIC(対敵諜報部)が置かれていた。CCD(Civil Censorship Detachment)は前者に属していた。このCCDによる検閲は1945年9月10日に開始され、49年10月31日に終了した。CCDは当初は軍事色の濃い活動を行っていたため民間検閲支隊といわれていたが、占領が落ち着くとともに民事色を強め、民事検閲局とか民間検閲局と呼ばれるようになった。
CCDは「民間情報教育局」と呼ばれていたCIEと誤解されることが多いCIEは日本の軍国主義の排除と民主化を至上命令とするGHQの情報、教育の政策、広報、啓蒙の使命をもっていたCIEは指導や情報提供を通じ、メディアのコンテンツをGHQの望む方向へ動かそうと工作していた。CCDは通信検閲やメディア検閲を通じて、日本人の秘密活動を摘発した。またインテリジェンス的情報を入手し、世論の実相を把握し、さらにメディアのコンテンツを統制する工作を行っていた。しかしCCDは非公然、CIEは公然の機関であったGHQやマッカーサーは自ら制定した憲法の中にある言論の自由と矛盾するCCDの行為に負目があったため、CIEを過度に表に出すことで、CCDの存在を隠し、それへの内外とくにアメリカ・メディアからの批判をかわそうとした。
CCDには郵便,電信,電話の検閲を行う通信部門(Communications)と新聞、出版、映画、演劇、放送などの検閲を担当するPPB部門(Press, Pictorial & Broadcasting)があった。PPBは占領直後にCCDに新しく加わったもので、PPB部門よりも通信部門がCCDの主流であった。CCDの職員は当初は1千人にも達しなかったが、その後は急増し、1947年のピーク時には8700名にもなった。他のGHQの部局よりも人員が抜きんでて多かったのは、1945年12月に日本政府の情報局を廃止し、それに代わってCCD自身が幅広くマス・メディアやパ-ソナル・メディアの検閲や統治を直接担うようになったからである。CCDはその存在が日本人にほとんど知られていなかった。しかもCCDの廃局と同時に検閲関係の重要文書は廃棄処分となった。とくに電話や電信の検閲の証拠はほとんど抹消された。郵便関係資料はまずまず残ってはいるが。人員資料となると僅少だ。1949年5月の資料によると、郵便検閲ではその1カ月間で国内郵便物の13%の2300万通をCCDに集め。その中から選び出した2%の350万通,電信は国内電信の15%の500万通、電話は全電話の0.1以下であったが、70台の盗聴機を使って63人の日本人が対応していた。
CCDの本部は東京にあった。時期によって地区割が若干変化する。1948年、49年には東京を中心する東日本地区は第Ⅰ区と呼ばれ、東京に支局、仙台に第Ⅰ区a、札幌に第Ⅰ区bという支部が置かれた。大阪を中心とする関西地区は第Ⅱ区と呼ばれ、大阪に支局、名古屋に第Ⅱ区a、松山に第Ⅱ区bという支部が置かれた。福岡を中心とする九州、中国地区は第Ⅲ区と呼ばれ、福岡に支局、広島に第Ⅲ区aという支部が置かれた。(図1)
1948年6月 | 2,045名 |
---|---|
1948年9月 | 2,172名 |
1948年12月 | 2,220名 |
1949年3月 | 2,592名 |
1949年6月 | 2,466名 |
1949年9月 | 2,451名 |
計 | 13,946名 |
筆者(山本)の調査で1948年、49年度各3の総計6つ、検閲者総計約1万4千名の東京地区の日本人検閲者の完全なリストの存在が明らかとなった(表1)。
第Ⅲ区の占領初期のリストが一部見られるのみで、第Ⅰ区の1945~47年のものがなく、第Ⅱ区にいたっては断片的なものさえ見つかっていない現状である。1948年11月では、全国のCCD雇用の日本人は5000人であったので、表1の48年12月の2220名は44.4%を占めていた。同じく49年3月では、全国のCCD雇用の日本人は5570人であるのに対し、表1の同時期の2592人は46.5%に相当した(山本武利『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』13頁)。CCD第Ⅰ区は日本人雇用で他の時期でも半分近くの比率を占めていたと推測される。
1948年6月 | 1948年9月 | |
DPS(郵便部門) | 1,526(75%) | 1,625(75%) |
TEL(電信・電話部門) | 96(5%) | 87(4%) |
TOS(専門工作部門) | 10(1%) | 10(1%) |
PPB(プレス・映画・放送部門) | 273(13%) | 294(14%) |
CCD本部 | 140(7%) | 156(7%) |
計 | 2,045人 | 2,172人 |
1948年6、9月のリストでは部門(セクション)、職種、給与、採用時期の記載がある。表2の48年の2つのリストのセクション別比率にはほぼ変化はない。郵便部門が全体の3分の2を占めていることが分かる。(表2)
その他のリストには職域、就任時期の記載がない。いずれもアルファベット順に記載されていて、漢字名がない。郵便部門の組織と職名は図2、電信・電話部門は図3のようになっていた。これは福岡の第Ⅲ区の数字であるが、他の地区とも大差がなかったであろう。実に多様な職種で日本人が雇用され、職場に振り分けられていることが分かる。
図3の資料では、26の各段階のセクションの関係や仕事の複雑な流れが①~③のように説明されている。
初級検閲者 | Jr Ex | 1,664人 |
---|---|---|
Jr Ex Tr | 1,113人 | |
中級検閲者 | Ex Tr | 6,056人 |
上級検閲者 | Sr Ex Tr | 3,664人 |
6つのリストには多様な職種が列挙されている。このうち初級検閲者(Jr Ex Tr)と中級検閲者(Ex Tr)、上級検閲者(SrEx Tr)の職種は、通信検閲でもPPB部門でも多数を占めていた(表3)。
このうち初級検閲者と中級検閲者の職務、責任、必要な言語能力について記載した資料がある。(CIS-5386)
Admin Assist | Administrative Assistant |
---|---|
Adv | Advisor |
Ch | Chief |
Cens | Censor, Censorship |
Clk | Clerk |
Consul | Consultant |
Cont | Control |
Dist | District |
Disp | Dispatch |
Dupl | Duplicator |
Ex | Examiner |
Exp | Expert |
Fwdg | Forwarding |
Instr | Instructor |
Intptr | Interpreter |
Oper | Operator |
Pict | Picture |
Proj | Project |
P.C.C. | Postal Control Clerk |
---|---|
Proces | Processing |
Profes | Professional |
Mach | Machine |
MI | |
Rep | Repairman |
Sp | Spec, Special |
Sr | Senior |
Statis | Statistical |
Sup | Supply |
Supv | Supervisor |
Tech | Technical |
Trans | Translator |
Trfc | Traffic |
Trai | Training |
Typ | Typewriter |
TypUnit | Typing Unit |
W/L | Watch List |