テーマD-02 各種のスポーツに共通する科学  

 第1章 「急発的動作開始」の科学

 1.競泳スタート動作での「急発的動作開始」

競泳のスタート解析で、号砲1発で飛び込む競泳のスタートでは反射的に動作を開始することがタイムをロスするということがわかった。 それが反動動作の処理に 問題があることもわかった。 図1は、広島で行われたアジア大会でのスタート映像で、上段が中国選手、下段が当時の日本選手である。 図2のそのスティック図 で、よく見ると、スタート台上での動作で下側の日本選手が沈み込み反動を取っている様子がわかると思う。

上の中国選手がスタート台から足が離れる瞬間でも反動を取った下の日本選手は、まだしっかり台に足がついている。 上選手の足離れまでの時間は0.67秒、下の 選手は0.84秒で、両者の差は0.17秒にもなった。 今までの多くのケースの計測の経験で、反動沈み込みがあると約0.2秒の差がつくことを確認している。20年以上 前の当時は、まだ日本選手のスタート技術は幼稚なものだった。 詳しくは競泳スタートのリアクションタイムの項を参照してほしい。

 2.「急発的動作開始」の反動動作

人間は本質的に、停止状態から急に動きだすには必ず「反動」を取る動作が必要なのである。 スポーツにおける「急発的動作開始」では、止まっている状態から 動き出すまでの時間をできるだけ短くすることが要求されるケースが多い。 早くスタートすることやボールに素早く追いつくなどである。 ところがこれを大きく 阻害するのが「反動」動作である。
脳はそれまでの自分自身の生活での経験的学習で筋力の不足分を「反動」動作で補おうとする。 図3のように、人間は台の上の軽い荷物はすぐ持ち上げてしまう、 しかし、多少重いものでも頭を振って反動をつけてなんとか持ち上げてしまう。 反動を取ると思ったより力が発揮できるのである。 人間は、そのままでは持ち 上がらないものまで持ち上げてしまうという経験を積んで、それに習熟しているのである。  そのため、静止状態から「急発的動作開始」する場合は、そのまま無意識に行動すると必ず反動をとってしまう。 しかし、競泳スタート映像からわかるように、 反動を取るために頭を振り込んで沈み込む場合、動作の所要時間分が余分にかかることになる。 通常の生活の中での動作ならば全然問題にはならないが、競技に おいて遅れをとってはならない事態の「急発的動作開始」の場合は違う。 「反動」を取るとその分の所要時間が増えてしまい遅れをとる。 スポーツの重要局面 では、「どうやってこの反動時間のロスを解消するか」、極めて重大な問題である。われわれはこれを「反動問題」と呼んでいる。

 3.「急発的動作開始」は多くのスポーツにとって重要事項

反射的に動作を開始することを「急発的動作開始」と呼ぶことにする。 急発的に動作を開始なしなくてはならないいくつかの状況を考えてみる。
1)スタート動作
競泳以外に陸上競技の短距離トラック種目、スピードスケートなどの速さ競争の競技での号砲スタート動作では、そこで差がついてしまうと挽回するには莫大な エネルギーが必要となってしまう。 スタートでの0.2秒差は、陸上の100mレースでは2m以上の差に、スピードスケートの500mレースでは3mもの差に相当する。  この挽回は不可能に近い。
2)野球守備
野球の内野守備のケースを考えてみる。 内野守備で敵が打った直後の動作開始は極めて重要である。  飛んでくる打球に遅れを取ったらヒットになってしまう。 チャンス時なら決勝点になるかも知れない。  プロ野球選手の打った打球の速度は100km/h位という統計がある。 仮に3塁手の場合、ホームの打者と3塁手の距離は 約30mとなる。 打球速度から計算すると、打者が打った瞬間から1.1秒で球は3塁手に到達する。 反動を取って守備の出遅れがあれば、その分の0.2秒は、打球 速度で計算すると5.5mに相当する。 計測によると打者が打ったことを目でとらえてから捕球態勢に入るまで、「反動」をとらないでも0.8秒はかかる。 余裕時間 は0.3秒ある。 反動を取れば捕球態勢に入るまで1.0秒になって余裕時間は0.1秒しかないことになる。 余裕にない守備をしなくてはならい。 球の到達までの 余裕時間は3倍も違うことになる。 詳しくは野球の項で解説する。

3)サーブレシーブ
テニスや卓球などの対面型球技では、敵者がサーブやスパイクを打った瞬間、打球に対し捕球動作に遅れを取ったらポイントになってしまう。 マッチポイント時 ならば負けてしまう。 テニスのサーブ打球は180km/hを超えている。 秒速は50m/秒にもなる。 サーブ打者から受け手までの距離は約23.8mなので、打ってから 0.48秒で到達してしまう。  人間の構造上、目で認識してから筋肉に脳の動作指示があるまで0.25~0.4秒がかかる。 それから打ち返す体勢作りをしなくてはならず、 余裕時間が0.2秒以下では、サーブレシーブはとても困難な状況となる。 これでどう対応動作するか、重要で大きな研究テーマである。 テニス解析はこれから なので、後日報告したいと思う。 柔道などの格闘技でも、ワザかけのための「反動」動作時間は多分競泳スタートの場合と同様の0.2秒くらいであろう。 相手と 組んだ状態でワザをかける時、一瞬でも沈み込みなどの反動動作があると、ピクッと身体が動き、敵がワザをかけてくることが分かる。 しかし反動時間があるため、 ワザは0.2秒後にしか動作されないことになる。 敵は一瞬に感じ取って腰を落とすなどのワザ回避動作を開始してしまう。 その動作が反動回避状態で行われば、 同様に0.2秒ほどで開始できることになる。 ワザかけと防御動作開始が両者でほぼ同時なら、おそらくワザはかからないことになるであろう。 ワザかけに優れた といわれる選手は、おそらくこの「反動問題」を自分なりに工夫しているのだと思う。 直接相手と身体が触れている柔道やレスリングなどの格闘技でも「急発的 動作開始」技術は極めて重要なのである。
このように多くのスポーツにとって極めて重要な「急発的動作開始」は、残念ながら競技力向上の場ではあまり科学的に 深く考えられていないように思える、のは私だけなのであろうか。

 4.「急発的動作開始」技術の科学

人間の身体運営は、図6のように、目や耳などのセンサーの情報を神経で脳に伝達し、脳からの指示で筋肉を作動させて身体動作を行うという方式で行われる。  青い矢印は神経による情報の伝達と考えていただきたい。 目や耳などの感覚器からの情報信号は神経を介して、まず脳に伝達される。 今までの経験でどうやら これには0.1秒くらいかかっているようだ。  目や耳の信号が0.1秒で脳に伝達され、状況の識別、動作選定作業が脳内で行われ対応動作の指示が筋肉の方へなされる。 そして0.1秒後に次の目や耳からの 信号が認識される、というサイクルで行われる。 経験的には、どうも約0.1秒間隔でいろいろなことがおこなわれているようである。 いわゆる「目の残像時間 が0.1秒」というのがこれを物語っていると思う。 この間隔は人によって(0.08~0.12秒位(約20%)変動があるようで天性のものだと思う。 訓練による 習熟度も影響があるかもしれない。
工学的には、「人間の身体活動は約0.1秒間隔で制御されている」と考える。 さらに、人間の身体各器官(筋肉や臓器など)の動作制御は、「自立分散型制御」と 呼ばれ、脳からの指示があれば、その後の作業は脳の関与なしに各部所で自立的に行われるという方式になっている。 脳は必要な器官に動作開始の指示をするだけ でいいのだ。 一定間隔で制御を間欠的に行いその間は惰性や自立動作に任せるという制御形態は、工学的には「インチング制御」という。 生理学的なことは 分からないが、人間の身体運営は「0.1秒クロックのインチング制御で行われている」と考えられる。 つまり体中の生活活動は、脳からの0.1秒間隔の動作指示 の繰り返し(インチング制御)で運営されていることになる。天の創った素晴らしいメカニズムであると思う。 脳内での状況識別や動作選定などの作業処理時間は、 各器官からの神経を介した信号伝達より数倍早そうであるが定量的には定かではない。 図6に示したように、通常動作では、脳内の一般ルートを介して作業が行わ れる。 目や耳からの情報を、脳内の専用の処理ゾーンで識別し状況を把握する。 別のゾーンで対応動作を選別し、筋肉への指示を行う。 一般的な生活活動の 動作はこのように行われる。 しかし十分な訓練によって対応動作が明確な場合、識別後の筋肉への動作指示は、対象が習熟動作なので訓練ルートを介して直接的に 行われる。 このルートでは脳内の作業が大幅に少なくなるので、対応が極めて速く行われる。 これがいわゆる「身体で覚える」ということである。 スポーツの 繰り返し訓練や熟練作業の習熟訓練がそれである。 今までの計測的経験によると、このルートでは目や耳に感じて筋肉が動き始めるまでの所要時間が男子なら 0.25~0.35秒、女子なら0.35~0.45秒位であった。 女子の方が少し長いようである。 訓練ルートによる高速処理という脳の機能は、競技スポーツ実施にとって 重大な人間の特性なのである。 人間の身体の運営メカニズムはなんと素晴らしいシステムの複合体になっているのであろうか。大きな感動を感じてしまう。
そして選手やコーチには、スポーツなどの繰り返しトレーニングが単に身体を鍛錬することが目的ではなく、脳の訓練ルートを開拓するというもっとも重大な役割が あることを認識して欲しいと思う。

 5.反動動作のメカニズム

競泳の「リアクションタイム」の項と一部重複になるが、重要事項なので解説する。  反動を取る局面とはいったいどういう状況なのであろうか。  図7は、左の方へ引っ張る力がかかっている状態で、筋肉が伸びると反発力が発揮できる場合での筋肉収縮による力の発揮状況である。  しかし、スタートジャンプで左へ飛び出すような場合では、当然最大の勢いが必要となる。 仕方ないので図8のように、選手は経験的に一度最大収縮状態を作って から、筋肉を急伸長させて大きな反発力を得ようとする。 必要な反発力を確保するための瞬時的筋肉収縮動作が行われる。 これが反動動作の局面ということに なる。 当然、①に対して筋肉収収縮という作業が増えるので、この分動作時間が増えることになる。

図9は、脳からの動作指示の状況を示したものである。 脳へ目や耳からの情報に加えて筋肉の信号から伸展状況信号が入っているので、筋肉へ反動のための収縮指示 かすぐ伸長動作指示が脳は容易に判断できる。  左側の信号伝達系列は直ぐ伸長指示の場合、右側が反動のための収縮指示である。 左側系列に比べて、右側は 1ステップ動作が多く、しかも収縮から反転への逆転切り替えなので、どうしても動作時間を要してしまう。 競泳のスタートでは、図1の映像や図2のスティック図 をみると、号砲直後の飛び出し動作時に、反応の遅い手前の日本選手の反動のための沈み込みの様子がよくわかる。  図10は、競泳のスタート動作のスティック図に、選手のお尻の位置に筋肉を模式的に書き込んだものである。 直感的に反動の様子がわかると思う。反動を取らない 状況と比べてみると当然反動動作時間だけ動作の所要時間が増大することになる。  この場合は0.17秒の遅れとなってしまった。 競泳スタートでは、号砲直前の 「よーい!」掛け声のときに静止した「構え」姿勢をとらなくてはならない。 反動の遅れを回避するために、この時に上の選手のように反動時の最も沈み込んだ姿勢 (タメ姿勢)を取ることで対応する。 こうすると号砲後の動作はいきなり直ぐ筋肉の伸長に移行でき、反動ロスがなくなる。 反動ロスは、個人差やスポーツ種目に よって異なるが、計測してみると平均的に0.15~0.25秒くらいが一般的である。 ロス回避の方法はスポーツ種目によってケースバイケースとなる。どういう方法を とるかを「反動問題」と呼ぶ。

 6.「急発的動作開始」技術は個別性が高い

「急発的動作開始」における動作の仕組みはある程度わかったと思う。 競技スポーツでは、その中での「反動問題」が避けて通れない事項である。さらに人間の 「動的反射能」という能力の活用がいい結果を生むと考えている。 競泳スタートの反動沈み込みを例にして解説したが、多くの種目で重要課題となっている。  実際にいくつかの競技の解析をしてみたが、競技独自のパターンがあって、極めて個別性が高いようである。 陸上競技の100m走のスタートでは、タメ姿勢は常識 である。 選手がレース前スターティングブロックの調節をしている様子を見かけるが、これは、号砲前に自分独自のタメ姿勢が取れるようにブロックで足の位置を きめているのである。 野球の内野守備は、A県のB高校(名門受験校)での強化を手伝った際に守備力強化で試行してみた。 この高校は受験倍率が高く部員に中学校 での専門的な野球経験者がほとんどいない。 いつも一回戦敗退であったが、この年はベスト8まで進むことができた。 ここでは「動的反射能」という考え方を適用 していい結果が出た。 この「動的反射能」とその活用技術は野球の項で詳細に解説しようと考えている。 テニスについてはさらなる研究が必要である。 0.48秒で 来てしまう相手のサーブ球をどうやって受けるか。 重大な鍵を握るのが「動的反射能」活用であると思う。
まだ具体化していないが、テニス競技の解析と強化のお手伝いができそうである。 ある程度の成果が出るものと思う。そのときはここで解説したい。

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