テーマC-03 わが国最初の電子計算機「FUJIC」開発 『 富士フィルム』
~FUJIC開発リーダー「岡崎文次」を支えた『矢野昭』物語~
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  著者:     NPOインテリジェンス研究所 理事 河野 通之 私のプロファイル
  インタビューによる情報提供: 元富士写真フィルム(株) 矢野 昭氏
 はじめに

2014年、蔵前工業会神奈川支部の賀詞交換の席で、テーマ10の主役だった「上杉伸二」氏から、矢野昭氏を紹介された。 お二人とも富士フィルムの出身である。このことが今回のテーマの合流点となった。
矢野氏から「レンズ設計は対数表を使って人手で行われていたため、多くの時間と工数を要し・・・・国内初の電子計算機 『FUJIC』を開発」と伺ったところで、私は約50年前の(FUJICが開発されてすでに10年たっていたが)あの時の情景が すぐに浮かんできた。それは、私が所属する大学の応用物理学科「佐藤 伸教授」の下で、卒業論文「『シクロヘキサン』 γ線照射による発生二次電子の挙動」に取り組んでいた時のことだった。γ線照射は怖かったけれど実際の実験はわずか 1ケ月で終了したものの、それからが地獄の日々の連続だった。「手動タイガー計算機」を使い、来る日も来る日も2ヶ月間、 ただ回し続けたのだから。二次電子の挙動をシユミュレーションするのだが、なかなかいい結果が出なかった。2ヶ月目頃に、 やっと出来たかなと思った時、佐藤先生が一枚のコピー用紙を持って来られた。「学科の数学系の先生にこの件を相談して 最近入った大型計算機を使ってみたら、それこそ5分もかからないうちに出てきたよ」と、美しいカーブが描かれた計算結果を 見せて下さった、いや見せられた。
前置きが長くなった。私は計算機の分野は全くの素人であるが、フォト・ケミカルメーカーが自分達の為にこの電子計算機を 開発したと聞き、大変興味を持った。後日、私は矢野氏を訪ねて、この開発に関しインタビューをさせていただいた。
以下の二つの投稿文がよく整理されているので、この投稿文の一部をそのまま転載させていただく了解を、矢野氏からいただいた。

Ⅰ.特定非営利活動法人 人間環境活性化研究会 [ HEARTの会 ]
第31号会報 28頁2002/10/1(秋季号)『プロジェクトX-日本最初の電子計算機「FUJIC」の開発』(矢野 昭)
なお、転載文中の筆者と記載があるのは矢野氏のことである。
Ⅱ.後述(詳細)『Ⅱ』にある岡崎文次氏の電気通信学会雑誌への投稿文(1957年6月)
「電子計算機FUJICとその計算例」である。



 まとめ

1.情報処理学会フェロー山田昭彦氏の「わが国最初のFUJIC誕生50周年を迎えて」2006年電気技術史研究会資料 によると、FUJIC開発リーダー岡崎文次を支えていたのはハードウェアでは矢野昭氏(特に水銀遅延線を用いた記憶装置)、 プログラムは龍岡静夫氏と書かれている。
2.天才的なセンスのある岡崎氏の下、矢野氏は電気的な基礎知識は身に着けていただろうが、ついていくのが大変だったと推察される。
3.水銀を使った超音波遅延式記憶装置は,岡崎氏と矢野氏が主に担当開発した。開発に関わる貴重なる測定器を、 休日にNHK技術研究所から借用して小田原まで運び、検討を行い、翌週には返すことを繰り返し行ったので、休日は皆無だったようだ。 幸い当時のNHKではTVの放送開始の準備などで、高周波、増幅発信、変調回路などの設計技術等が充実していたので、 矢野氏を含めた開発グループがNHK技研から教育、アドバイスをいただけたのは、この記憶装置を開発する上で大変幸運だったといえよう。
4. ケミカル・フォトメーカーにおいて、電子計算機開発は外販用でなく、内部設備用の開発だったので、投資にも限界があった。 それに関連する人材・装置も手薄だったと思われる。にもかかわらず、親会社のダイセル時代からもそうであったように、生産用の為に 必要と思われるものは自製し、他社に比して差別化する為の「エンジン」を持つ、という姿勢は引き継がれている。
5.このような状況の中でも、この開発から富士フイルムは数件の特許を申請し、全て登録された。なかでも特筆すべきは、「循環回路」 (特公昭30-7104は、ジョンソン・カウンタと言われているもの)を、富士フィルムがかのIBMにライセンスしたことである。その後、日本の コンピューターメーカーがIBMの特許戦略に苦労させられることを考えると(私は詳細については分からないが)、このことは大変な快挙だ。 写真④にあるように、FUJICは現在も国立博物館に常設展示されている。
6.「FUJICは真空管を使った第一世代の最後の電子計算機ではあるが、対象物を絞ったから達成できた」 と記述がある。 確かに後で技術革命したカメラのズーミング機能などの開発には、コンピューターでのシミュレーションが不可欠であったと思われる。 日本で最初の開発であるFUJICが、当初のレンズ設計の自動化という目標だけでなく 次世代の(気象予報の計算など)導入機選定などに 利用され、我が国のその後の電子計算機の発展のために大いに貢献したといえよう。最近のメディアによると、我が国の誇るスーパー コンピューター「京」を大手企業が新製品開発のために盛んに利用しているとある。そしてその中に「富士フィルム」の名前があるのは興味深い。 いづれにしても産学官が協力して世界と戦っていかねばならないものの一つである。

参考文献 引用資料
*1 岡崎文次:「数字式電子計算機FUJICについて」 信学会電子計算機研究専門委資料(1954-6-24)
*2 岡崎文次:「数字式電子計算機」 富士写真フィルム研究報告 No2,1954
*3 岡崎文次・矢野昭:「超音波記憶装置に使用する一同期方式」 昭31電気三学会大523 (1956)
*4 岡崎文次・矢野昭:「電子計算機FUJICの試験方法」 昭32年4月電気四学会連大202 (1957)
*5 「Secondary Electrons in the Radiolysis of Cyclohexane」
       Shin Sato, Terumi Terao, Michiyuki Kono, Shoji Shida
       vol.40 1818-1822(1967)  http://www.journal.csj.jp/bcsj
       Department of Applied Physics, Tokyo Institute of Technology
*6 岡崎文次-日本における計算機の歴史-
       わが国初めての電子計算機 FUJIC 情報処理 Vol15.No8 Aug.1974
*7 遠藤 諭 「計算機屋かく戦えり」 1996月11月10日 ㈱アスキー発行
*8 矢野 昭 『プロジェクトX-日本最初の電子計算機「FUJIC]の開発』
       第31号会報 28頁2002/10/1(秋季号)
       特定非営利活動法人 人間環境活性化研究会 [ HEARTの会 ]
       http://www.heart-no-kai.com/kankoubutu/kaihou.html
*9 情報処理学会フェロー山田昭彦 わが国最初のFUJIC誕生50周年を迎えて」
       電気学会;電気技術史研究会資料 2006年5月1日資料番号 HEE-06-12

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