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  著者:     NPOインテリジェンス研究所 理事 河野 通之 私のプロファイル

①検索記事から読めること
検索記事数は「ブルドーザー」で37件、「土木機械」では146件に上る。
第二次大戦における連合軍特に太平洋南方における日本軍への反抗において、基礎となる飛行場建設の立役者はブルドーザー、 モータースクレバーなどの建設機械だった。またその建設施工の速さだった。
米国において、この大戦の間に製作された建機は6万台に及び、その運搬も機動力が重視され航空機でそのまま運べる建機さえ登場 した。運送用の大型飛行機も開発されていた。
記事1の前に、この「建設」季刊号の冒頭の橋本健治組合長の挨拶文「あの昨夏の見渡す限りの焦土の中に・・・・菜園の鮮やかな 緑の色に涙する・・・」との一文は、その時の復興への熱い思いがまざまざと伝わってくるような文章だと思う。

記事1「米軍土工機械講習報告」
にあるように、記者が「南方での飛行場建設に関与した進駐軍の土木機械」を目の当たりし、その威力を認識せざるを得なかったこと。 そしてその講習の機会を得て、今後の我が国の復興にはこれら建設機械がなくてはならないものだとの強い感想が報告されている。
記事2「ブルドーザー其の後作業能力の調査」
には「清水組(清水建設)」での国産品のテスト結果にはまだ厳しい評価が書かれているし、各種の建設機械を上手く組み合わせて使用すべし と記されている。またメンテナンスに関することも指摘している。国産の機械の評価が始まっている。
記事3「命の妙薬ブルドーザー」
には、建設機械が引く手あまたの様子が漫談調に書かれている。
記事4「ブルドーザーによる土運搬出力について」
には、米軍からの払い下げを受けるブルドーザーの建設省による定量的な評価結果があるが、操作運転の熟練が不可欠と書かれている。
記事5「“ブルドーザー”を近く購入」〈小松製作所製〉
1949になると国産のブルドーザーを購入する動きが出ている。コマツのD50(写真① )である。

②合流
私の合流点は1985年ころコマツの川崎工場訪問に始まる。1983年に私は全く未経験のエレクトロニクス分野で、小さな商社兼メーカーに 転職した。転職先において何か新しいことを始めないといけない。しかし冠がない会社の人間に対して、世間は厳しく、面談すら難しいことを 私は初めて経験した。
「犬も歩けば・・・」の心境。それでもあるベンチャー会社の人から「非接触でパワーが送れて双方向に信号もやり取りできるいわゆる高機能な 非接触のスリップリングといったところの試作品レベルの商品があるから、売ってもいいよ」と託された。回転物には適しているかもしれない、 とのことで産業機械関係に当たってみることにした。なかなかアポが取れないので、蔵前のテニスOBに会いにいくことにした。 皆、二つ返事で会ってくれた。私はこの時初めて体育会に入っていたありがたみを感じた。最初に行ったのは1年先輩がいるコマツであった。 「建設機械メーカー」とは知っていた。さっそく工場に行ってみた所、先輩はヘルメット姿の作業着で現れ、急な会議が入り時間が無くなって しまったとのこと。そこに大型のダンプトラックが来た。車輪の高さが私の頭より高い。テストが終わったので、今から海外へ出荷のために 分解するそうだ。こんな大きなダンプは初めてで、音もそうだが全体の迫力に圧倒された。「何用に使うか」と聞くと「どこかの鉱山用」だと。 「コマツ」についてはそれ以来ご縁が無かったが、最近テニス仲間に素敵な同社OBがいて時々話を交わしている。苦しい時に最初に訪問した 会社ということもあって、私は本件テーマにぜひ載せたいと思うに到った。早速、DBで検索してみると「四国新聞社」に「コマツ製の『D50』 ブルドーザーへ・・」と題して、災害後の復興への救世主として期待にされていると載っている。私も四国出身なのでこの記事に興味をもち、 同社へ問い合わせて写真①を提供してもらった。それを見て「何と勇ましいブルだ」と感心した。私が同社を初めて訪問した当時でも 年商8,000億位の大企業であったが、今は世界的にも、日本を代表するの会社に成長していて、年商2兆円を越す魅力的な会社に育って いた。会社の沿革を見ると、経営者の世代交代時と言うべきであろうか、約10年単位に改革が行われていることが分かる。
コマツの主な改革は、(同社HP等による)、

1.○A作戦実施
①1964頃、世界NO1の建設機械メーカー「キャタピラ(以降Catという)」が三菱重工と国内で建設機械の合弁会社を設立するという、 ニュースが伝わり、コマツは戦々恐々となるもすぐ対策を打った。
②コマツはCatに負けない性能をもつブルドーザーを早期に開発する。
③米国カミング社との「ディーゼルエンジンに関する技術提携」
④米ビザイラス・エリー社「油圧ショベルに関する技術提携(81年解消)」
⑤米インターナショナルハーベスター社「合弁事業契約(82年解消)」

2.○B作戦実施
①70年代になると、次の10年で輸出を拡大可能にするレベルの建設機械を開発することを進めた。
②アフターサービス提供を可能にすることも含めてである。 ③国内とは違い、海外では過酷な現場で稼働時間が不定期、突発的な使い方、さらに環境が激変する業務、そのうえ運転する人間も固定 することができないなど、あらゆる配慮が必要になる。
④サービス部品等の提供も可能にしなければならない。

3.「選択と集中」と「ダントツ経営」
①90年代になり売上も一兆円の山が見えかけた時、会社全体のバランスに課題がでてきた。経営者はむこう10年いや20年の先を描いて 手を打とうとした。
②多結晶シリコン事業を売却し建設機械と産業機械に集中する。グレーターアジア戦略を描き、戦術としてダントツ商品開発推進。
③ICTの活用計画と並行して、これを推進させる礎はシステム、すなわちグローバル統合部品表システムの開発整備。
④ICT技術の推進は「KOMTRAX」に集約する。
⑤この「KOMTRAX」はCat対策でもあるが、他社が追い付けないダントツ商品である。
⑥技術的にみると、地球規模の空間で稼働情報、位置情報をリアルタイムで伝えオイルなどの消耗部品などの交換を大きなダメージが出る 前に伝えることができる。
⑦ブレードの角度などのセンサー利用により、効率的な作業が可能であると同時に精度高く実施できるようにするためにフィードバックシステム が構築でき、機械、作業計画、補修計画情報が双方向でコントロール、モニタリングできるようになった。
⑧グレーターアジア計画の中国での展開は、まさにこのダントツ計画がタイムリーだったといえ、客、販売店、メーカーが皆ウィンウィンの関係に なり、2000年代での2兆円の売り上げを可能にした。

まとめ
私が感じることは、
①同社の実行作戦は、分かりやすい「FLAG」を掲げることができたことだと思う。戦国時代の世で鍛えられたものかもしれない。
②「KOMTRAX」などのダントツ作戦もすごいが同社の海外も含めたマーケッティング力は素晴らしい。代々の経験を活かした情報、アンテナの 張り方、メーカーの技術屋が現場で感じた体験などの集め方が優れているのだろうか。
③1949の同社のD50(出力50Kw? 写真① )からD575A3(出力783Kw)KOMTRAX PLUS付(写真②、③)を一見するだけで、同社の この65年間の発展ぶりが理解できる。建設機械他多種の機械を製造販売しているが、今回は「ブルドーザー」を中心に考察したが、日本を 代表する会社の今後の展開を見ていきたい。「コマツウェイ」の発展が楽しみだ。
追:筆者が見ると事業分野は違うが上流から下流まで一気通貫で市場展開が似ていて、海外事業の展開している「YKK」と共通したところが あるように思もえる。北陸独特の共通したDNAがあるのだろうか。

参考資料・引用資料
1)坂根正弘「ダントツ経営」  日本経済新聞社出版
2)yokohama-cu.ac.jp/
3)業績マン(コマツ)
4)【コマツ事例】ダントツ商品開発とグレーターアジア戦略を支えるグローバル統合部品表システム
5)「太平洋戦争前後の日米建機」(1939から1950)土木建機発展史 2010.9「建設機械情報」〈仕事と道具〉
6)技術論文 コマツテクニカルレポート2010 VOL. 56 NO.163 建設機械への ICT 応用
 Application of ICT to Construction Machinery

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