テーマA-02 セルロイドの歴史研究に取り組む
『岩井信次・薫生父子ものがたり』(セルロイドハウス横浜館)
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  著者:     NPOインテリジェンス研究所 理事 河野 通之 私のプロファイル
  インタビューによる情報提供: 株式会社 DJK 代表取締役 岩井薫生氏

私の合流点
2013年春、私は元三菱油化㈱樹脂研究所物性研 高山森先輩に誘われて新横浜の近くにあるセルロイドハウス横浜館を訪問した。 この訪問は、燃えやすいセルロイドに代わって開発された、燃えにくいフィルム誕生への経緯を知る為に、セルロイドを知っておきたい 程度の軽い気持ちだった。セルロイドについては、小さい頃にカラフルな下敷きとか筆箱の形で私の記憶に残っているが、素材から作り 方、金型、二次加工、最終製品そして文献までずらりと並んでいるのは驚きだった。この建屋は㈱DJKの発祥の地で、今は別の場所に 移転されてその跡地に残されたセルロイド横浜館で、セルロイドの歴史の全てが分かる、おそらく世界でも最大の歴史館であると思わ れる。(写真①)この時の岩井館長の話は私にとって大変衝撃的な内容だった。

岩井館長の話
セルロイドは日本にとって大変重要な材料であり、その加工技術、ノウハウも含めて宝というべきものだった。日本の台湾統治時代に 材料供給力の強さも加わり、一時は世界の50%を供給していた。生産は戦後減少したが、1995年まで続いた。日本人は手先が器用 で人件費も安価であった為、多くの人がこの産業に携わってきた。一方で、日本が材料の供給(可塑剤)を抑えていたので、ドイツ、 USAなどが他の方法で対抗すべく懸命に開発を行っていた。第二次大戦後のドイツの開発状況等占領したUSAによる情報、いわゆる 「PBリポート」にもあるように、石炭、石油化学を利用した新しい高分子材料、染料、医薬などの研究が続出していた。化学産業は、 石炭産業から石油化学へ移行という大きな流れに変わろうとしている時期だった。日本は長年の研究開発の空白を埋めようと試みなが らも、何とか食べて生きていくことが最優先で、復興の為の外貨獲得で優位に立っていたセルロイド産業という宝に依存せざるを得なか った。結果として、日本は欧米のこの大きなうねりに対して大変な後れをとってしまった。戦後、日本はこの遅れを取り戻すべく欧米から の技術導入で、衣料品などの生活必需品用の材料の生産をすすめると共に、その後立ち上がる家電製品、自動車などの工業製品向け 材料の生産を行うことになる。国内各地で、石油化学のコンビナートの整備が始まった。勿論日本の宝物であるセルロイド産業など、 培われたノウハウは新しい産業にも大いに活かされることになった。(参考文献)

岩井信次博士のこと
岩井館長とお会いして以来の2年間にセルロイドハウス館に足しげく通うことになった。なぜだか同館を訪れると故郷に帰ったような気が する。ここでは実験室と図書、それに展示室が同居している。そこに勤められている方々が醸し出す雰囲気も好きだ。そして訪問する たびに新しい発見がある。館長のご尊父岩井信次博士は蔵前の大先輩であることも分かった。
岩井信次博士の話を続けよう。1977年に博士が寄稿された蔵前工業会誌に、「ある日の感激が私の一生を決めた 『思い出の記』」と ある。(資料 ① )それは昭和9年、横須賀工廠での広幡海軍技師の博士への話。「大砲を打つと軍艦の窓に使っているガラスが割れ た。割れないガラスを国内で見つけることができなくて、全世界を徹底的に調査したところ、唯一ドイツに『plexi glas』と称するものがあっ た。これこそが海軍が渇望しているものと合致し、ただちに大量に輸入した。将来日本において製するよう、海軍は研究を始めた」と 広幡海軍技師は岩井博士に話し、その10cm角のサンプル見せた。博士はこの言葉にすっかり感激し、それまであまり興味のなかった プラスチックの研究深く入っていくことになった。博士は東京都工業奨励館化学部長、日本大学生産工学部教授を歴任され、DJKを 設立してセルロイド検査協会評議委員も務められ、セルロイドの輸出品質向上にも貢献された。またプラスチックのみならず、塗料関係 などを含め幅広い材料の普及にも貢献された。そして終生、中小企業を応援する立場に立たれた。セルロイドは歴史はあるものの材料 の加工、成形、二次加工などそして金型など細かいノウハウはすべて職人の頭にあり、伝授する書は残されていない。「作り手」の視点 に立って実戦研究をされた岩井博士は、中小企業の仲間から名実ともに慕われていたのではないかと感じられる。

セルロイド館の保有物、並びに活動
以下のものを収集整備しながら、それぞれの歴史、ノウハウなどの「視える化」に取り組んでいる。(参照写真②、③、④、⑤、図①)
 ①複合材(混練技術)
 ②加工方法(加圧、多層成形、中空成形)
 ③金型(4000面保有)
 ④二次加工
 ⑤完成品・商品
 ⑥可塑剤の使い方の見本
 ⑦関連資料、特に参考資料(    )
 ⑧研究会継続
 ⑨展示会参加

まとめ
①日本におけるセルロイドの存在意義と役割
セルロイドは日本において約90年間も活用され、その概要は、
1.世界で熱可塑性材料としては初めての材料だった
2.戦前は世界の半分の材料を日本が作っていた
3.戦前、戦後の外貨獲得に一番貢献していた
4.セルロイドは固く、透明で、彩色がきれいな上に、自由な形に成形できるというスーパー材料だった。
5.漆・陶磁器工芸で鍛えていた日本の家内工業的な伝統技術が、セルロイドの出現により、さらに磨きがかかって花を咲かせた。
6.高分子化合物と可塑物の見事な配合技術を構成することに成功し、後世に出てくる熱可塑性材料の典型的な見本と言うべき存在に なった。
②課題
材料が燃えやすい為に、映画館などで火災が発生していた。映画のフィルムに使用されていたために、貴重なフィルムの保管に苦労して いて、特殊な空調を施された暗室に保管されている。複写は、技術的にも経費的にもなかなか困難だ。現在も、そのアーカイブフィルム は大量にあり、その対策に関係者は頭を痛めているようだ。
③岩井館長(DJK代表取締役)
セルロイドの燃えやすさもあって、米国の保険組合のバックアップでUL規格が設定され、その規格を取得するためにDJKを発足させた ことは自然な流れと言える。現在も、プラスチックに関する公平な評価、分析の受託などの事業を拡大継続させている。先日も名古屋 地域に新しく進出した。
④最後に
つい最近まで使われていたピンポンの玉は、セルロイドでできていて、誰もが触った経験があると思う。 セルロイドから生み出された 製品は広範囲に使用され、赤ちゃんのおもちゃのガラガラから、写真、動画など、人が豊かに生きたことを証明する道具でもあった。 素材は、石油化学から生まれた材料に変わっても、セルロイドで培われた加工法(真空成型中空成形)は引き継がれた。このセルロイド 横浜館には 多数個取りなど(写真   )、成形ノウハウを想像できる金型、及び商品などが展示され、日々メインテナンスがなされて いる。プラスチックに関係したひとりの人間として、そのご努力に頭が下がる思いだ。現在の塩ビ、セルロース(TAC)などに使用されて いる可塑剤の技術は、このセルロイドで鍛えられたノウハがDNAとなっている。このセルロイド物語とともに、岩井父子の大変な業績に 接することができる 「セルロイドハウス横浜館」を是非訪れていただきたい。

参考資料
①セルロイドと高分子プラスチック産業~栄枯盛衰のドラマ~
株式会社 DJK 代表取締役 岩井薫生
http://www.celluloidhouse.com/polyfile201303.pdf

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