テーマA-1 | 『クラレ』(倉敷レーヨン) (ポバール・エバール) |
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著者: NPOインテリジェンス研究所 理事 河野 通之 | 私のプロファイル |
インタビューによる情報提供: | 元三菱油化樹脂研究所 中空成形先端技術開発責任者 植松 武文氏 |
排ガス規制法案(マスキー法案)による影響と、プラスチック、特にポリプロピレンの自動車への搭載可能性調査のため、私は、
1970年代半ばに訪米した。米国の高速道路に日本車が一台も走っていないことに驚きながら同国の調査を終え、西独に向かった。
東独国境沿いのアウトバーンを100km以上のスピードでウルフスブルグに向けて走ったが、100Kmを超すと、車が沈む感じがして
走行がますます安定するという、今までに経験したことのない快適性を知った。「フォルクスワーゲン社が「ツルが鳴いている」形をした
ガソリンタンクのプラスチック化を検討している」との情報があり、確かめたかったからである。それから約20年後、それまでの
超高分子量の高密度ポリエチレン単体製の第一期プラスティックガソリンタンクか普及し始めていたが、そこにガソリン、エタノール
などの燃料の多様化とともにカリフォルニア大気資源委員会 (CARB) が低排出量車(LEV)の要求がでてきた。
プラスティックタンクは、車の軽量化、形の自由化が可能になりトランク内の空間確保には欠かせないものになっていたが、
車両燃料システムの炭化水素排出量に関するガイドラインが加わる、という難題が降りかかってきた。この途方もないテーマが米国で
最初に具体化するのである。可能にしたのは㈱クラレである。開発供給したそのキー材料は、高度のガスバリア性を有した『エバール』
だった。元三菱油化樹脂研究所 中空成形先端技術開発責任者 植松 武文氏が語る「それまで保存食品包装用フィルムとして
流通革命を起こしてきた材料である。勿論、他材料と同時成形の多層構造だ。ただ、この材料は成形機内での滞留劣化が見られたので、
ガソリンクタンク生産者の協力でそのシステムの金型を多数個取りし、連続押し出しできるように工夫して解決された。」相反する性格を
抑えながら、材料の良さを活かした多層構造の大型中空成形品の誕生である。
記事の欄にある「東洋経済新報」によると、1949年商工省への経済復興委員会からの答申(合成繊維工業急速立ち上げ)により
ポリビニールアルコール繊維(ビニロン)とポリアミド繊維(アミラン)が育成の対象になり、前者が㈱クラレの担当となったのが始まりだった。
戦後の衣食住が最優先のころ資金的面など大変な苦労の末、量産に成功した。学生
服や強力ビニロン糸などによる漁網等販売陣も、ガンバリ合成繊維事業として成長していった。このポバールにさらに改良が加えられ、
記述のエバール(EVOH)が発明されたのである。
紙面の制約上、自動車関係からの切り口で同社を見てみたい。
*ポバールからの改質品については(EVOH)記述ずみ
*自動車の内装品の表示用液晶パネルに使われている耐熱性染料方式による偏光板(ポバールを延伸:㈱ポラテクノなど)
*インタークーラータンクなどに使われている、スーパーエンプラ(ナイロン)PA9T『ジェネスタ』
*織製面ファスナー(マジックテープファスナー)『マジロック』
などこれから伸びてゆく事業が目白押しだ。
共通して言えることは、他社をまねるのではなく重要な材料についても他社が追従することを許さない、モノマーから開発しポリマーを
作り上げていることだ。また開発、生産については何度も壁にぶつかったが大変理解のある経営者がいてまれにみる家族的な関係が保たれ、
励ましあってクリアーしていった。その様子が残された資料からかいま見える。
この経営者が、会社経営だけでなく今でいうCSRをはるか上回る日本初の民間企業による本格的な総合美術館を設立したのは1930年の
ことである。大原孫三郎と大原総一郎両氏による『大原美術館』だ。私は、以前、夏休みを利用して近くのホテルに泊まり、4日間美術館に
通いつめたことがある。それ以来何度も美術館を訪問しているが、一番の目的は児島寅二郎の『和服を着たベルギーの少女』を見ることだ。
『大原美術館』はCSRの継続とともに地域の人たちの自慢である美白地区などそこは世界に誇れる空間を醸し出している。
今回このような形で同社のことを書くとは思っていなかったが、『寅二郎記念館』の向こうに蔦に囲まれた研究棟のあとがあり、今や来訪者の
憩いの場となっている。㈱クラレの設立した『大原美術館』は日本だけでなく、世界の人たちに誇れる美術館として今後とも存在し続けるで
あろう。また、同社の今後の展開が楽しみである。